5 抗日根拠地の回復
高度分散配置から兵力集結へ
五 兵力ノ集結二就テ
軍カ現ニ実施シアル高度ノ分散配置ハ安定ノ現況、現地ノ実情竝従来ノ経緯等ヨリ止ムヲ得サルニ出テタルモノナリト雖モ為シ得ル限リ前述ノ施策[対敵経済封鎖]ニ依リテ支那側ノ積極的活動ヲ促進シテ軍ノ負担ヲ軽減シ逐次ニ兵力ヲ集結シテ軍ノ弾撥力ヲ増強スルコトニ努ムルト共ニ特ニ重要都市、主要ナル資源要域、交通線周辺ノ安定ヲ図ラレ度 之力為爾他ノ地域ニ於ケル一時的ノ安定度低下ハ止ムヲ得サル場合アルヘキモ之カ実行ニ方リテハ現地ノ実情ヲ無視シテ画一的ナル統制ヲ加へ或ハ功ヲ急キテ過早ニ兵力ヲ撤収スル等無用ノ混乱ヲ惹起シ或ハ禍根ヲ将来ニ胎スカ如キヲ戒メ適切ニシテ現地ノ実情ニ即応スル方法ニ依リテ速ニ其実効ヲ挙クルコトニ著意セラレ度(田辺参謀次長の河邊総参謀長への説明、1943年3月2日、『北支の治安戦』2、308-309頁)
北支那特別警備隊の創設(1943年9月)
共産党の組織破壊、八路軍の游撃戦対策の専門部隊、北支那派遣憲兵隊を改編
(一)作戦全般事項ニ就テ 作戦遂行上憲兵科出身者以外ノ者ハ悉ク秘密戦ニ対シ未経験ナルト中共ニ対シ理解ノ度低ク敵情ニ疎ク各級幹部カ自信アル作戦ヲ為シ得サリシ為第一期作戦間[1943年9月20日~1944年6月9日] 部隊ノ十全ノ力ヲ発揮スルコト困難ナル状況ニアリタリ
(二)中共ハ党軍政ノ一体トナリ党ノ統一領導下有機的活動ヲ以テ農民ノ実生活面ニ楔入シ其ノ組織又強靱ナルモノアルニ対シ我カ方思想、政治、経済的ノ諸施策カ武力作戦ニ伴ハス特ニ偵諜破催戦ニ膚接スル華側[傀儡政権]政治力ノ進度ハ遅々トシテ進捗セス 之ニ加フルニ華側武装団体及機関員又貪汚腐敗ノ現象ヲ露呈シァリテ民衆ノ負担増加ノ一途ヲ辿リ之カタメ民衆ニ嫌悪セラレ我方成果モ減殺ノ止ムナキニ至リ敵ニ乗セラルルノ余地ヲ与ヘツツアリ 華側政治力ノ弱体ト貪汚腐敗ハ敵工作進展ノ好条件ニテ今後抜本的対策ヲ要ス(「北特警戦闘詳報」『北支の治安戦』2、473-474頁)
北特警の治安戦遂行上最も苦痛を感じたのは行政権がなかったことである。武力のみで思想を破ることはできない。治安戦では軍事、行政、経済、警察、宣伝等のすべてを統一指揮することが必要である。しかし北特警も各兵団もそのような権限はなかったばかりでなく、協力関係にある華北政務委員会の政治力がきわめて弱く、地方行政を推進して所望の成果をうるには、治安戦遂行に適合した政治,体制の刷新が第一の問題であると思った。(北特警高級参謀であった大森三彦大佐回想、『北支の治安戦』2、475頁)
[1] 井上久士,日本骏河台大学教授。